敵に回すと迷惑で面倒くさいけど、味方にしてもあてにならないし裏切るのが目に見えているので、結局は積極的に関わり合いたくないなあと心底思わせてくれる、所謂善良なる第三者の皆様、新年あけましておめでとう御座います。俺は相変わらずガラクタ人間を継続中です。
 さて。
 一年の初頭に、互いの幸福に関して願い合うという習慣が有るのは知っていますが、余り乗り気になれません。だって、どうあがいても、幸福は個人の能力、才覚、努力といった複合要素+運の結論でしか有りませんから、現時点で不幸なのに何もしていない人間が幸福になれる訳も無いし、頑張ったら報われるか?っていうと微妙。現時点で幸福な人は多くの場合何もしなくても、この先も幸福が続行する(ご存知の通り、一定以上の幸福を手に入れた人は、余程の馬鹿な事をしないと不幸にならんように社会というシステムが構築されているので、滅多な事じゃ不幸にはなりません)ため、幸福には偏差が生じるのはあたりまえで、だから互いの幸福を願い合うなんて時間の無駄なんじゃねえのか?と個人的には思っております。故に、不用意無作為に「今年が良い年でありますように」と言った社交辞令を書くのも、最近では空虚に思えてなりません。
 ですが、それでも俺は大人なので、「皆様が良い年になりますように心より願っております」と書いておきます。願う程度の労力なら俺も惜しみませんし。
 年始の挨拶として、一般的には、コノ後に干支談義が続いたりするのですが、今年の干支が何なのか、と言った事は正直興味御座いませんので、よく知りません。ですが、コンビニで年賀状を買って来たら虎の絵が書かれていたため、おそらくは、そんな案配の何かなんだろう程度の知識は有ります。とはいえ、それが何を意味するのかという一連まで知りませんし、知りたいとも思えないので、干支関連の話は出来ません。そもそも年月という時間の観念に動物に投影する意味が分かりません。そういうことをしなくても良い程度の科学は発達しているんじゃないのか? 教育は、なされて来たんじゃないのか? と疑問に思いますが、おそらく、疑問に思う俺の方が間違っているので問題ないです。
 同様に、運勢的な物や、占い的な物も詳細は知りませんし、積極的に理解したいという衝動も持ち合わせていません。ですので、今年がどんな年になるかという予測部分に関しては、俺の方で言及が可能な事は「知らんよ」という、何とも殺風景な事柄に終始します。未来予測に関しては異様な説得力を持っていたラプラスの悪魔だって、結局は、生きてるんだか死んでるんだか現象として不確定な一匹の猫によってやっつけられちゃって、単に無茶な話の一つでしかなくなっちゃったのに、脂ぎったリーゼントのオバハンが未来を予言出来るようには俺には思えないんだよなあ 的な話はしたくもないです。
 俺個人としては、未来は不確定だから、そこに干渉して行って自分の納得出来る現象に確定させて行くべきだという考え方をしたいです。だから俺にとっての2010年は、現時点では「知らんよ」状態の方が都合がいいのですが、それは皆様には関係が無い話でしょうね。
 そんな訳で、2010年がどうなるかなんてのは考えても無駄なんじゃねえかな?という着地点(要するに「なるようにしかならねえよ」的世界観)に、結構なハードランディングして、2010年の展望、終了とさせていただきます。
 俺の経験上から、未来ってのは結局は自力でドウコウするしか無いですし。しかも、その努力ってのは決して等価で報われたりはしません。正直、運のいい奴は一年寝てても、死にものぐるいで働いた奴よりも収入が有ったりします。ついこの前も、ネットサーヒンしてるだけで給料が貰え、しかも高額の年金がもらえる公の職場が発見されたりしています。運のいい奴は、そういう場所にスルニョーっと就職し一生遊んで暮らします。
 そんなもんです。
 それは「持たぬもの」にしてみりゃ心底腹が立つ事ですけど、立腹する時間と労力が無駄な気がします。そいつら全員をぶっ○ろせば、そいつ等の持ち物全部が○○した人の物になる!ってのなら別ですが、今、それをやるとただの山賊です。無理です。今の世の中、犯罪は割に合いません。
 多分。
 そうなると、自分の方にテコ入れするしか現状を変化させる術は有りませんが、それは、誰も手伝ってくれたりしません。誰も見守ってくれたりしません。結果を出すのも自分ですし、出した結果を評価するのも自分です。思っている以上に、誰も何もしてくれませんよね。特に結びつきが強いとされる家族や恋人と言った関係も、実は脆いもの恐ろしいもの。実際、俺の人生で、最も多くの回数俺を殴ったのは俺の家族でした。
 そんなもんです。
 それでも、時には誰かを信用しないと生きて行けません。嫌な世の中です。他人を信じるってのは、異様にエネルギーを使います。実際、多くの場合が「敵に回すと迷惑で面倒くさいけど、味方にしてもあてにならないし裏切るのが目に見えているので、結局は積極的に関わり合いたくないなあと心底思わせてくれる、所謂善良なる第三者」ですから、当然の帰結ではないかと思います。だったら関係を断ってしまえば良いと何度も思いました。思いましたが、社会には社会のメリットがあり、自分は自分で思っていた以上に、それに依存していました。一度手に入れた便利さは、なかなか手放せませんからねえ。それに幸せなんてのも、結局は比較対象する相手が有りきの観念で、社会の中で始めて意味を持つというもの。だから、社会は俺を殺そうとしますが、俺はそんな社会と巧く付き合わなきゃならんのです。なんとも救いの無い話です。
 要するに「社会とは巧くやってこ?」って事です。
 まあ、俺としては、妥協点を見つけるだけの日々が続く事になりそうですが、とりあえず2010年も「生き残る」ことを目標に、社会に殺されないよう、多くの不確定要素に干渉していって、せめて自分の納得のできる事を自分の周りに充足させて行き、それをもって幸福としたいなあと個人的に思う所存ですが、おそらく、それも皆様とは関係の薄い話です。
 以上をもって、挨拶とさせていただきます。さようなら。