某つぶやく系のミニブログ扱いされてるアレを初めて数日経ちます。何の事よ?っつうと要するにツイッタの事なんですけど、アレは早口でいうと戸板って聞こえるよね。どうでもいいですけど。俺は気に入りましたけど。
 つうわけで、戸板を使い始めて数日たって思った事を書くので誰も読んじゃいけないよ? 俺が俺の為に、俺の感情を記録してるだけなんだから。
 
 そもそも、俺はネットにおける「会話」というものを会話だと思ってません。あれは似て非なる物だよ。とか書くと色々と面倒な事になりそうなので順を追って書いてみると、まず、会話というものを読んで字の如く「会って話す」という意味として考えると、そこに有るものは「対面」というファクターが関与するんじゃね?と俺は思うんだす。だすだす。何となく訛ってみました。意味は無い。話を戻すと対面するという部分と、その上で言葉というツールを使って情報を交換していくことが会話なんじゃねえかと俺は思うんだけど、そうなると、情報の交換という行為の全て≠会話という部分も含有してるだろうよ、と。対面しているという「ライブ」な部分が欠けてるからな。
 なんとなくですけど、会話って、同じ空間を共有しながらの情報交換っていうね、そういう意味合いを持っているような気がするんだな、俺は。他人は知らん。興味ない。っていうか、俺が持っている会話という行為に対する認識を俺以外の人と共有したいとは積極的には思ってない。
 言葉という物が空気の振動をメディウムにして人間という個体が情報を言語という規則にのっとった「ことば」を吐き出して、それによって情報(感情含み)をやり取りするっつうね、そういう物とネットでのやり取りを見るとね、空気の振動が、電気信号に変わっただけで大差ないよ?的な見方も出来るけど、それは多少大雑把すぎる気がするのだよ。例えば、今ね、俺がこうやって文字を打ち込んでる訳だけど、今の俺を取り巻いている環境なんて、これを読んでいる人には知る由もないわけだよ。もう、のどちんこまで勃起させてテンパって打ってるかもしれん。鼻くそほじくりながら足の指で打ってるかもしれん。人を*しながらかもしれん。書かれない事は一切伝わらない。
 そんな事までは共有させない。
 俺は、ここでは、会話をしてない。
 それは何て言うのかな、Webカメラ使ってのテレビ電話的なものであっても、やはり伝わらない部分は大量に有る訳だよ。匂いとかさ。温度とかさ。そういう部分の共有の無い情報のやり取りと、実際に会って話す会話ってのを並列に考えるのは俺にはちょっと無理っぽいね。
 更に言うと、ネットだと個体差ってのが徹底的に減るように思える。
 やはり時間を作って会って会話をしたくなる!っていう人と、俺は会話をしたい。なんで?っていうと、それに対しての厳密な返答ってのは難しい。でも、会話ってのが個体を取り巻いている環境の共有を含めた情報交換って考えると、環境の共有って部分、ここが引っかかって来るわけです。解りやすく言うと会いたくない奴とは「お話」ならしてもいいけど、それ以上はお断りだ!っつうね。そういう個人の魅力ってのも会話を成立させる何かの一条件になってるように思うんだけどさ、ネットって場所で、情報を文字化して交換するような形でのコミュニケーションを始めると、会いたいって思えるほどの個性は俺は感じられないね。そもそも、情報を選択的に共有するのが自由自在な場所だしさ、他人を装うのがラクチンだもんねえ、所謂「理想的な素晴らしい人間」にだってなり切るのは簡単簡単。そうなると、あれだよ。美容整形したひとの「美人」な方向性が「どれも同じ」になってくようなもんで、個体差が見えなくなる。だれもが「良い人」だし、誰もが「正義の味方」だし、誰もが「自分こそ最高」だ。言っとくけど俺も善人此の上ない正義を具現化したような最高の人間だぜ? 
 ネット で は な 。
 この前ね、某所で40過ぎの職歴無し絶賛無職中の人がチャットしてるのを見たけど、その人の言ってる事だけを見れば、そりゃもう大した人に見える訳だよ。たまたま俺が、そいつの背景を知ってるから「このキ*ガイはママンに食わせてもらってるのに何を言ってんだハロワ行けよ40過ぎてんだろうが」としか思わんのだけど、知らん人が見たらビックリするぐらいの論客さんですよ。そりゃそうだよな、自分の置かれている環境ってのを排除して自分発信の情報だけを選択して放流できるわけだからさあ。あとは検索エンジンを回して、W*kiあたりで拾って来た知識をコピペしとけば尊敬されちゃいそうな人格が一丁上がりだ。それは会話か?
 話は変わるけどね、某医師のブログが今面白いんですよ。
 その人は何年か前から徹底して科学最優先な医療をしてきたひとで、統計的に証明されてないことは、例え厚労省が勧めても「やらね」って拒否しちゃうぐらいでさ、今、当然とされている医療の習慣も統計から証明されてないものは無意味だ!つってバッサバサと切り捨てちゃう。それは爽快感すらあった。でもねえ、この人も最近「ネットに真実を見つけた」らしく、どんどん壊れて行ってしまって、最近じゃあ周囲を「自分を肯定してくれる」面白人間で固めてしまって、彼が一年ぐらい前まで否定して来たような類いの方向に全力疾走中です。この前はついに「人類は月には行ってない」と言い出してたし。いや、別にアメリカさんが月に行こうが行くまいが、それが事実だろうが嘘だろうが本格的に好きにしてくれ。俺には関係ない。俺が面白がってんのは、そういう事じゃないんだよ。ネットで「人は月に行ってない」ってい真実を見つけて来ちゃって、それに感化されちゃったっていうのがねえ。今まで比較的マトモな事を言ってただけに残念だなあと思いました。やはり副*、植*とかの脳が壊れてる人の文章を本気になって読み始めたら人間的な終了フラグなんだな。
 
 というね、面倒な部分ってのを明確に浮き上がらせてくれてるなあ、と。
 戸板。
 そもそも一回140字しか書けない、ただつぶやくだけ。自己紹介も適当。知ってる人の言葉は、その人の背景を知ってるから楽しいけど、知らん人の言葉は本格的に「その言葉以外はワカラン」ので、余計な事を考える気力すら湧かん。それを書いてる方も自覚してるから好きなことを好きに書いちゃう。それが自由で良いね。そして、その自由さが、最近ネットですっかり見られなくなった「人間の個体差」を感じさせてくれて新鮮で面白い。たぶん、装ってないんだな、善人を。それでいいよ、って思う。戸板では。
 多くが書かれないから、多くを知れない。だから、読む方は徐々に「別に知らんでも良いや」ってなって行くような気がする。っていうか、俺はそんな感じで、俺が今フォローしてる人に関して俺は知りたいって思わん。ただ、どっかで誰かが、ぼそっと思った事を書いてる。それを俺がここで見てる。そんなシュールな関係が今は面白いなあと思っています。多分、今後色々と印象は変わるんだろうけどな。
 まあ、使い始め数日としての俺の感想でした。死んじゃえよ俺は。