青3冊目を三回ほど読んだので思った事。共感は要らない。
 いや、相変わらず面白いですよね。それにしても赤を基本に成立している世界ですが、白が過去を、黒が赤とは別の方向を補完している印象なのに、青だけは世界を遊んでいないってのが凄いです。設定を共有するスタイルなのに設定で遊ばないっていうのは勇敢だと思いますよ。しかも、設定を無視するんじゃなくて「その世界が進む方向のシミュレーション」を主体にして、設定を転がしてるっていうのは力量なんだろうなあ。
 面白さを支える部分に「俺来た!てめえら全部やっつけてやるドカーン」成分が薄いっていうのも有るんだろうと思います。確かにルーファは強かろうけど、それに依存しないで話が転がるわけですよ。あれだよ、コレだけヒロイックな骨格をもったキャラだったら赤辺りだと200ページぐらい連続で闘っちゃうね。そうしないのが逆に問題の根深さを浮き彫りにしちゃう。「俺来た!てめえら全部やっつけてやるドカーン」に頼らないってことは、もっと根本的な解決を迫られるわけで、それは、確かにクルナの駄目っぷりを反映させた駄目解決ばかりなんだけど、じゃあ誰もが満足する結末ってのが誰もが迎えられんのかよ!っていう部分を経験しちゃってる読者にとっては親近感が有りまくる。その親近感が物語の世界を読者方向に近づけているし、だからこそ、読む方も「俺来た!てめえら全部やっつけてやるドカーン」展開は要らないと最初から思ってるわけで。
 話は大きく転がり始めて、青の虐殺と青の王冠がどんな案配でリンクしていくのか目が離せんのですが、如何にせん2冊目から3冊目がでるまで二年かけたからな。次は三年とか掛かるんだろうなあ。まあ、待つけど。
 というかさ、この作者さんは青フォニを終わらせる気満々だよな。出来れば後一冊、長くて二冊で話を閉じたい!っていうのが伝わってくるんだが、俺の気のせいかな。なんだろう、それは設定で遊ばないっていうスタイルからくる「この世界では遊びたくない」感なんだろうか。あとがきでも触れてたけどニートのニートライフを書いたら面白いだろうが、それは書けないっていう、あの下りが俺に終わりを予感させます。つか、青が他に反映されなさ過ぎるってのも、青だけが浮いてて、それが排他的な感覚を増長させてるのかもしれん。でもまあ、それは設定で遊ばない上に「俺来た!てめえら全部やっつけてやるドカーン」成分の薄さが、そうさせてるんだろうけどね。
 という、俺にしか解らない話でした。俺は死ねば良いよ。